スローライフでご機嫌に暮らす。

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僕が定年前に退職した理由(養老孟司の名言)

小堀鷗一郎・養老孟司『死を受け入れること』を読了。

付箋を貼りつつ読み進めたのだが、養老孟司先生の台詞を記事にしてみようと思う。

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 養老孟司さんの名言

仕事よりもやりたいことをやろう。

50代の時に具合を悪くしてレントゲンを撮ったら「肺に影がある。がんではないか」という診断を受けた養老先生。それをきっかけに、定年前に退職に踏み切ったそうだ。

仕事なんかやってる場合じゃない。やりたいことをやろうって。

(中略)

人間は社会性動物だから、社会の中で自分はどうか、というのが非常に大きいけれど、僕はそもそも社会の価値観をあまり信用していないんです。子どもの時から「みんなそう言っているけど、本当にそうなのか?」といつも疑っていました。

やりたいことというのは、自分がやり残していることです。そういうことをしっかり計画すればいいと簡単に言う人もいますが、そんなの面白くもおかしくもない人生です。

これに深い共感をおぼえるのは、私も婦人科の疾病をきっかけに自分の健康寿命や生き方を考え「50歳からやりたいことをやる」とギアチェンジした経緯があるからだ。

養老先生と違うのは、仕事内容に大義がなく(例:権威者に対するご機嫌取りの意味不明な仕事)、人間関係もさほど良好といえず、体力もだいぶ落ちてきた等、退職を後押しする材料がかなりあったことだろうか。

 社会の価値観は、風見鶏のようにひらひら変わるものだと思っている。大勢の意見が正義になるだけだ。無視はしないが、取り込み過ぎない程度に配慮しよう、そのくらいの感覚でいる。

コロナ前と今で、それまでの概念や常識、計画が見事にひっくり返った。人生は計画どおりに進まないものだ。計画は無駄と思わないが、それにしがみつきすぎるのは良くない。拘泥し過ぎると面白くないし、悲観的になりやすい。

人生は想定外の連なりでできている。

絶えず自分を育てるということ。

次の人生をどうするかは50代の初めに考えるべきなんです。かっこいい言い方をすれば、絶えず自分を育てるということです。

50代初めでなく、もっと若い世代が「いかにこの人生を歩むか、どう自分を育てるか」を考え、行動しているように思える。ひとつのところに固執してもよし、軽やかに転身しても良し。どんな形でもいいから、自分でしっくりくる生き方をすれば、それがその人の解になるのだと思う。

人生は遊び半分でいいんです。

山岳部の学生と一緒に山に行くと、彼らのほうが先にバテます。(中略)山に登ろうと、歯を食いしばっていたらバテます。僕は遊びながらやっているから、余分に歩いたって平気なんです。

これが人間の変なところで、遊び半分でやったほうがいい。人生は遊び半分でいいんです。

本当にそう。融通無碍、遊戯三昧の境地で遊ぶのがいい。水に落ちた時に慌ててもがくと溺れるが、力を抜いて身を任せると楽に呼吸ができるようなもので、変に力を入れないほうがうまくいく。どうせ、逝くまでの暇つぶしだから。

まとめ

カッコいい先輩がいることが、ただうれしくありがたい。

 

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付箋はすべて養老先生の台詞だった…