スローライフでご機嫌に暮らす。

思いつくまま、気の向くままに、よしなしごとを綴っています。

頭では理解できないことが起こりうる(不思議な話)

平成26年3月に、携帯を買い替えることにした。その際に母が「それは私がお金を出す。誕生日に何かしたいけれど、あなたは何も欲しがらないから」とプレゼントしてくれた。

それから約5年。携帯は故障した。着信音もバイブもまったく機能しなくなっていた。当時、母は末期がんで入院しており、いつ病院から呼び出されても電話に出られるよう整えておく必要があったのだが、大抵いつも着信に気づくのが遅れ、こちらからかけ直すことになった。

それで近所のソフバショップに修理してもらおうと持ち込んだのだが、店員さんから「これはもう完全に壊れていますね。修理より買い替えをおススメします」と引導を渡された。

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しかし、なんとなく買い替えは気が進まず、そのまま使い続けることにした。もしかすると、買い替えた瞬間に母が亡くなるような気がしていたのかもしれないし、新しいことをおぼえるのには、少し疲弊が積もり過ぎていたのかもしれなかった。

実際、見舞いに行っても私のことも認識できず、発声も飲食もおぼつかない状態だったので「万が一、看取れなくても後悔はない」と考えていた(今も逝くときに慌てるよりも、生前しっかり交流したほうが悔いがない、という考え方である)。

 

しかし、亡くなる数週間ほど前。奇跡が起きた。

 

急に着信音とバイブ機能が復活したのだ。ショップの人が「完全に壊れている」と告げた私の携帯。どこもいじっていないのに、なぜ急に機能し始めたのだろう。

 

母の危篤を知らせる電話は朝4時に鳴り響き、その日私と弟は最期まで付き添うことができた。

 

この日はいろいろ不思議なことがあり、自宅の洗面でコンタクトを片方落としてしまった。早く病院に向かわねばならないから、スペアレンズを嵌めて、落としたレンズは諦めた。そして、納骨まで済ませた時期に、その落としたはずのレンズを、洗面ボール内で見出すことになる。

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(写真は借物)普段、水を豪快に流しているボールだ。なぜ数週間の後、コンタクトレンズがそこに落ちていたのか、いまだにわからない。

 

わかるのは「人の頭ではわからないことが起こりうる」ということだけだ。

 

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今日は母の誕生日なので振り返り