面白がって ご機嫌に生きる

快適なモノや場所を選び、いつも機嫌よく過ごしていたら、運と勘が強くなりました。どこまで楽しんで暮らせるか、日々実践中です。

50歳で宝くじが当たって仕事を辞めた男

イスラエル博物館所蔵 印象派・光の系譜』展に行きました。

11/10(水)19:00の回を予約。第二水曜の17:00以降はマジックアワーチケット(1,200円)が適用され、通常の1,900円よりも700円もお得なのです。

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mimt.jp

 

見どころ

  1. 日本初!イスラエル博物館が所蔵する印象派の名品選
  2. 印象派の光の系譜をたどる珠玉の作品選
  3. モネ、ゴッホ、ゴーガンなど画家たちのピーク時の作品が一堂に

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撮影可能なコーナー。

さすが日本人に人気の印象派展で、水曜の夜でもかなり混んでいます。

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日本初公開のモネ<睡蓮の池>

 

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これも日本初公開。ゴッホの<プロヴァンスの収穫期>


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私が気になったのはアルマン・ギヨマン<セーヌ川の情景>のキャプション。

1841年生まれのアルマンは16歳の時に画家を志すが(中略)1891年に宝くじが当たったことを機に仕事を辞め、画家に専念

50歳までどんな仕事をしていて、宝くじの当選額がいくらで、その後どんな人生だったのか…短いキャプションではよくわからなかったので、帰宅してからウィキペディアで調べてみました。

 

パリの生まれ。叔父の経営するランジェリー・ショップで働きながら、夜にスケッチのレッスンに通った。フランス政府鉄道でも働いていた。1861年アカデミー・シュイスで勉強をはじめるが、そこで終生の友となるポール・セザンヌカミーユ・ピサロと出逢った。ギヨマンがまだ何の名声も得ていなかった頃、彼らの作品にギヨマンが与えた影響は意義深いものがある。セザンヌはギヨマンの描いたセーヌ川のはしけの絵を元に、最初のエッチングを試みたのであった。

1863年、ギヨマンは落選展に出品し、後に友人となるフィンセント・ファン・ゴッホの弟テオがギヨマンの絵を数点購入した。

強烈な色彩で知られ、世界中の美術館がギヨマンの絵を展示している。パリやクルーズ県プロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏の地中海沿岸に近いアドレ・ドゥ・レストゥレル周辺を描いた風景画で、とくにその名を残している。

1927年、パリの真南にあるヴァル=ド=マルヌ県オルリーで亡くなった。

 

…宝くじのことは書いていないですね。

16歳からずっと絵に専念したいと願いつつ、仕事を続けながら絵も描き続け、ようやく白秋期に黄金の羽を手に入れたのでしょうか。1927年没なら、享年86歳。50歳から生活の気苦労なしに若い頃の夢に向かって歩めたなら、それは幸せなことだな…と思います。

よく「宝くじを手に入れた人の末路」と煽る記事などを見かけますが、悪いのは宝くじではなく、それに振り回される人たちですからね。

 

アルマン氏にとって、50歳からの人生はどんなものだったのか。

40代までと比べて、どう変わったのか。

ちょっとだけ、知りたいと思っています。

 

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