面白がって ご機嫌に生きる

快適なモノや場所を選び、いつも機嫌よく過ごしていたら、運と勘が強くなりました。どこまで楽しんで暮らせるか、日々実践中です。

「貯金」よりも大切なのは「お金を使い切る」という意志(?)

あの世には何も持っていけない。この世で人が欲しがる名誉、地位、財産、健康、人脈、容貌、知識、才能、頭脳、崇敬その他を、永遠の旅路をゆくときにはすべて捨てていく。

 

ゼロで死ね。『DIE WITH ZERO~人生が豊かになりすぎる究極のルール』という書籍がある。

diamond.jp

 

私の考えるゼロで死ぬというのは、物質的世界に訣別する際に、必ず人間は無になるという意味だが、著者の主張は違っている。この世で与えられた資源を死ぬまでに使い切れ、という意味に思える。

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紹介記事を一部抜粋して、私見を綴ってみた。

 

 生きているうちに金を使い切ること、つまり「ゼロで死ぬ」を目指してほしい。そうしないと、人生の限りある時間とエネルギーを無駄にしてしまう。エンジニア出身であるせいか、とにかく私は効率が好きで、無駄が嫌いだ。そして、人生のエネルギーを無駄にすることほど、もったいないことはないと考えている。だから私にとって、「ゼロで死ぬ」というのは完全に理にかなっている。

 もちろん、死ぬ前にゼロに到達すべきではない。死ぬ直前にひもじい思いをしたい人などいない。だが、せっかく貴重な時間と労力を費やして稼いだ金を、生きているうちにできる限り使い切ってほしいと思うのだ。

 

人生の有限な時間とエネルギーを無駄にしないという主張は賛成だ。しかし、稼いだ金を生きているうちに使い切るというのは正直同意できない。

自分の寿命が尽きるのが先か、資産が尽きるのか先か。そんな際どい計算をしつつ、送る日々は少しも楽しくない。使い切らずに手元に残したほうが、心にゆとりが生まれる。少し余裕をもって暮らし、もし使い切れなかったら、遺産をお世話になった人に譲るなり、関係団体に寄付すればいいように思う。

 

 

 これは、生涯にわたって金を最大限に活用するための消費と貯蓄の方法を示すものだ。モディリアーニの基本的な主張は、生涯を通じて金を最大限に活用するには、「死ぬときに残高がちょうどゼロになるように消費行動をすべき」というものだ。仮に、もしいつ死ぬかがわかっているのなら、そのときまでに金を使い切れば、最大限の喜び(と効率)が得られることになる。

「通帳の残高0」で死ぬのが理想、と断じる人もたまにいるが、この方式で喜びと効率が両立するように思えない。そもそも私は、昨今の「効率性、生産性重視」の考え方が苦手だ。肝心なものを見落としている気がする。

 

身体は使い切るようにできていない。例えば大脳皮質の神経細胞は140億個あり、一日10万個死滅していくといわれるが、どんなに長命でも神経細胞を使い切ることはないようにできている。

お金も、本来貯め込んで取り崩す性質ではない。水や血液と同様、回しながら生かすものだ。

物質やエネルギーのもつ本来の性質を無視して、流行りの価値観に当てはめても、すぐに頓挫するように思われる。

 

 

「いつ死ぬかなんてわからない」という現実的な疑問に対して、モディリアーニはとてもシンプルな答えを示している。安全に、かつ不要な金を残さないためには、人が生きられる最長の年齢を想定すればいい」と。つまり、自分が可能な限り長寿をまっとうすることを前提に、1年当たりの消費額を決定するのだ。

 多くの人はそれすら計算していない。なんとなく必要以上の金を貯め込んでいるか、必要なだけ貯めていないかのどちらかだ。それでは、人生を最適化することはできない。

この著者の意見(抜粋)から「自分さえよければ」という驕りが感じられ、あまり好きになれそうもない。経済をまわして世の中を良くするとか、寄付という発想がまるでなく「自分が使えないお金=不要なお金」というモディリアーニの意見を尊重しているところからも、独善的な印象を受ける。

そもそも「人生の最適化」とはなんだろう。最適化できる対象ではないと思うが。

 

身の丈以上のお金を欲しがる必要はない。過度な吝嗇も好まない。しかし「何が何でもお金は使い切るべし、他者に残すのは絶対無駄」という価値観は、私には受け入れられないな、という感慨をもった。

 

 

適度に貯めて、適度に使い、身体もお金も「まだ使える」という段階で旅立つのがいい、と私は思っている。頭も目も耳も鼻も足腰も機能しなくなり、歯もほぼ抜け落ち、身体がほとんど動かせない状態――ゼロに近い状態――で逝くよりも、余力があるうちに地球を卒業したいと願っている。

 

この世のものはすべて置いて、ゼロで旅立つ。しかし、この世にあるうちは、ゼロに近づけるよりも、少しゆとりをもった状態を、最期まで保ちたい。

 

命やエネルギーは枯渇することを目的に付き合うものではない。

だから、ゼロで死のうとは思わない。

 

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