面白がって ご機嫌に生きる

2022年の夏、サラリーマン生活を卒業しました。生きているうちは快適に、旅立つ時は軽やかにをモットーに暮らしています。

神社仏閣で「氏名・住所・生年月日」を名乗るべきか

先日神社参拝したときのこと。後ろの女性が「お賽銭は自分で稼いだお金じゃなきゃダメだから、後で返すね。あ、住所と名前は名乗るんだよ。お礼はいいけど、お願いはダメだからね」と話しているのが聞こえました。

ツッコミどころが満載過ぎる。

 

まず、お賽銭くらい事前に用意しておきましょう!少額であれ、境内で貸し借りしないこと。それに稼いだお金以外NGだと、子どものお賽銭はどうなの?ってことになります。

 

住所と氏名を名乗るべき、いや不要だ。神職や僧侶の意見もバラバラです。

まず、その神社仏閣のルールに従えばいい。例えば京都の鈴虫寺は「草鞋を履いたお地蔵さんが家まで来るから、住所と名前はしっかり告げて」とお坊様からいわれますので、私はそのようにしています。

ですが、初参拝や久しぶりの参拝ならともかく、なじんでいる場所でそれを告げるのは違和感があります。

親や上司や恩師や友人に会うたび自己紹介はしないし、なじみのママに逢うたびに名刺は渡さないですよね。

それゆえ「絶対に住所と氏名をいうべし」という説は、私は採用していません。却って隔てがあって頓珍漢な行動に思えるのです。

 

神様付き合いは、親に懐くような感覚でいいんじゃないでしょうか。

ちっちゃい子は「ありがとう」を覚える前に、親を絶対的に信頼している。そして親も子を守り、幸せになってほしいと願っている。でも我儘でも何でも聞いてくれるわけじゃない。言いなりになる奴隷じゃない。先のことを思って、敢て突き放すこともある。

そこを勘違いしたまま「ありがとう」が先!何が何でも感謝!感謝!と自分にすり込もうとしても、あまり良い参拝にはならない気がします。

 

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ちなみに一番好きな高幡不動尊では、特にお願いはせず真言を唱えてから「いつもありがとうございます」とお礼を述べています。これは、願わなくてもちゃんと察知してくれるという、絶対的な安心感があるからです。

感謝したほうが願いが通りやすくなるとか、そういう下心はありません。

 

で、その後に「お不動様はいいなあ。目がぱっちりで、頬がきゅっと上がって張りがあって色艶良くて、二の腕がシュッとしてて。見た目年齢は私より若いよねえ、いいなー」としょーもないことをぶつぶつ(心の中で)つぶやいています。

 

お賽銭の金額や、自己紹介の仕方や、お参りの作法に拘泥するよりも、頻繁に顔を見せて懐く方が神仏は喜ぶと思いますよ。親みたいなものだから。

叶うかどうかは別として、困っているなら素直に心情を吐露したほうがいいと思います。

 

私はこんな感じでお参りしていますよ、というお話でした。

 

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