面白がって ご機嫌に生きる

快適なモノや場所を選び、いつも機嫌よく過ごしていたら、運と勘が強くなりました。どこまで楽しんで暮らせるか、日々実践中です。

鬼舞辻無惨という鬼について

鬼滅の刃』のラスボス、鬼舞辻無惨。仲良く暮らす家族を惨殺し、自己中心的で短慮で冷酷で怯懦で、自分だけが生き永らえることに凄まじい執念を燃やし続ける鬼である。

しかし、無惨がもし殺戮者であるとするなら、と考える。

人類はどうなのだろう。仲良く暮らす禽獣の親子を食肉のために、毛皮を剝ぐために、実験動物として用いるために、生活を守るために、些かの痛痒をおぼえることもなく淡々と殺す。感染症が広がれば、小屋に押し込めてすべて根絶やしにする。

 

鬼舞辻無惨と人類と、たいして違いがないように思える。むしろ無惨には「愉悦のために誰でもいいから殺す」という発想がないぶん、まだ救いがあるように感じられる。

炭治郎が指摘したように無惨が「存在してはいけない生き物」であるなら、地球にとっての人類も同様なのかもしれない。

そう思って読み進めると、後半の無惨の独白が人類の鏡像のように思えてくるから不思議だ。

 

 

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しかし、むしろ恐ろしいのは産屋敷耀哉のほうだ。一族の恥部である無惨を倒すことだけを目標に生きている。顔立ちは無惨とそっくりだが、生きることにひたすら執着する無惨と真逆で、まったく命を大事にしていないように見える。妻と二人の子どもを道連れに自爆したときも、微塵も感情のゆるぎを見せなかった。

この産屋敷に魅了された鬼殺隊は「鬼を倒すためなら身体が欠損しようと、命を失おうとかまわない」という発想に取りつかれてしまう。甘露寺蜜璃は鬼に負の感情をもたない、単なる結婚願望の強い怪力娘だったのに、お館さま(産屋敷)に篭絡され、死ぬことも厭わない精神状態に変わってしまう。

 

無惨が「鬼殺隊は異常者の集まりだ」と腐したが、意外と正鵠を射ているかもしれない。漫画だから炭治郎や鬼殺隊を応援したくなるが、現実社会に産屋敷サークルがあったら、多分みな無惨と同じ台詞を吐くのだろう。

 

自分さえ助かれば他の命は塵芥も同然という鬼と、

自分と周囲の命を犠牲にすることを矜持に変える人間と。

 

一体、どちらが鬼なのだろう。

 

今週のお題「鬼」

 

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