面白がって ご機嫌に生きる

快適なモノや場所を選び、いつも機嫌よく過ごしていたら、運と勘が強くなりました。どこまで楽しんで暮らせるか、日々実践中です。

「価値」という幻想(17世紀オランダ絵画展より)

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ヤン・ファン・ホイエン《冬の川景色》

 

フェルメールと17世紀オランダ絵画展にて。

絵画ではなく、その説明文が印象に残った。この絵はある人が(その価値に気づかず)ずっと風呂の蓋として用いていたものらしい。もともとが板に描かれたものだから、その用途に適していたのだろう。その資産価値に気づいた所有者の感動はいかばかりか。

 

それにしても「価値」という概念もあやふやなものだ。絵はまったく変容していないのに、あっという間に扱い方が変わる。畢竟、そのモノではなく、周囲の認識が変化するというだけのことだ。

水戸黄門」にしても、印籠を出す前と出した後で、ご老公そのものは変わらない。変わったのは周囲の眼である。認識である。

よく「あんな人だと思わなかった、裏切られた、幻滅」と知人なり著名人なりの一面を知って怒りを募らせる人がいるが、大抵の場合相手は変わっていない。もともとそういう人だったのを見落としていて、勝手に傷ついたり八つ当たりしているケースが多いように思われる。

人やモノの価値というのは、結局「認識」によって左右されるもので、本来そなわっている質は不増不減であろう。

 

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ハブリエル・メツー《レースを編む女》

左に黒い猫がいる。西洋絵画では犬は「従順、貞節」、猫は「肉欲、放埓」などの寓意をもつといわれるが、この絵の説明文に寄れば「家に猫がいることは不名誉なこととされた」とあった。絵だけでなく、現実社会でもそうだったのか。

2.22をにゃんにゃんの日と喜ぶ、愛猫家の人たちには絶対なじめない社会だろうし、この時代の人が今の日本を見たら「なんと不品行なことよ」と愁眉を露呈するだろう。

 

いつの時代も、価値(認識)はさまざまに変化する。それゆえあまり拘泥することなく、薄目で楽しんでいければいい、そう思って過ごしている。

 

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