面白がって ご機嫌に生きる

快適なモノや場所を選び、いつも機嫌よく過ごしていたら、運と勘が強くなりました。どこまで楽しんで暮らせるか、日々実践中です。

DIE WITH ZEROに首を傾げつつ

人生で一番大切なことは思い出をつくることだ、一度きりの人生で何をしたいのか真剣に考えよう――という訴えはよくわかる。

しかし「財産を使い切らずに死ぬことは、非効率の極み」という概念にはあまり賛同できない。そもそも人間は、すべての身体機能が0になってから死ぬわけではない。脳や筋力、骨が丈夫であっても心臓が止まって逝く人もいる。つまり、死ぬまである程度の体力も財力も、余裕を持たせるほうが自然、というのが私の考えだ。

 

この本を読んで特に引っかかったのが、遺産の残し方についての記述だ。

著者は我が子にも「親が死んでから遺産を渡すのは遅すぎる。適切な時期(子が26~35歳)に渡して活用させるのが良い」と主張するが、その弊害はないのだろうか。人のお金を当てにする、もらい癖がつく、依存心が強くなる、お金のありがたみを知る機会を逃す…などのデメリットについては触れていない。

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ある女性の話が出てくる。

母の死後、50歳前に遺産をもらった女性の話

元夫と離婚、4人の子供を育てるとき、裕福な母は一切の援助をしなかったため、生活は困窮した。その後、再婚・パートタイムの仕事につき、中流の暮らしができるようになった。彼女が49歳のときに母が亡くなり13万ドルの遺産が転がり込んできた。

著者は「残念だ。一番困窮しているときに裕福な母が援助していたら。49歳時点では、ボーナス程度にしかならない。どれほどの財産をいつ子どもに残すかを生前考える。それが子どもへの愛だ」という論調で綴っていく。

これも首を傾げざるを得ない。母の教育方針なのかもしれないし、母子の間に断絶があったのかもしれない。また、もし母が手助けしていたら再婚して安定した生活を送れなかったかもしれない。

96歳秘書が、860万ドルの遺産を寄付した話

生前、質素な暮らしをしていた独身女性が死後860万円の遺産を寄贈した。90代まで秘書として働いていたという。周囲は彼女が投資で蓄財していたことも知らなかった。

これに対し、著者は辛らつだ。「なぜ生前贈与をしなかったのか。死後の遺贈は非効率すぎる。慈善団体はすぐにお金が必要だ。資産を増やしてから寄付するより、「今」渡したほうがよい」と一刀両断する。

この論理を読んで、自分とはまったく相いれない価値観の持ち主なのだ――と思った。生きているうちは、自分と家族の生活を守るのが第一優先だ。貯蓄をしようと浪費をしようと、好きなタイミングで寄付しようと、それは本人が意志と責任をもってやればいいことで、外野が容喙することではない。それに寄付をしてから、急に自身が大病等で物入りになった時にどう対応するのか。寄付先が面倒を見てくれるわけもない。

それに「生前贈与」のリスクについてまったく触れていないが、「資産家だと思われ狙われる」「何度も寄付をせがまれる」「借金の申し込みが増える」などの金銭トラブルが生じ、その後の人生がやや面倒なものになるかもしれない。

私の考え

私からすれば、死ぬまではストックしておいて、亡くなってから寄贈は非常に理にかなっているといえる。

お金はただ使い切ればいい、というものではない。身のまわりにトラブルを生じさせないように使うことも大事。精神的な安定という意味で適額を保有するのも大事。

 

私は、資産額0で旅立ちたいとは思っていない。もし資産が余るようなら、いくつかの団体に分散寄付しようと思っているが、生前贈与はまったく考えていない。

先述したとおり「自分の生活を守ることが第一義」「喜捨により、金銭トラブルが起きることを防ぐ」などの理由による。

 

「人生が豊かになりすぎる究極のルール」という副題がついているが、これならブロガーさんたちの記事のほうが面白く深みがある、と感じた。

 

6割くらい読んだところで飽きてしまい、後は流し読み。

47人の利用者が予約待ちしているので、早く図書館に返却しよう。

 

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