面白がって ご機嫌に生きる

快適なモノや場所を選び、いつも機嫌よく過ごしていたら、運と勘が強くなりました。どこまで楽しんで暮らせるか、日々実践中です。

ご縁のないモノ、場所からは速やかに離れるのが吉

昨年の春分の日は、有名な八方除神社に参拝した。春分夏至秋分冬至のすべての時期にその神社の真上を太陽が通るとのことで、強大なパワーがいただけるという。

実は10年以上前にその神社は参拝したのだが、正直あまりいい印象を持てなかった。神社に非があるわけではない。ただ出店の人の態度が悪く「評判ほどに磁場(地場)は良くないのかも」と感じたのだ。私はその歴史や霊能者の評価よりも、集まる人たちを観察して自分の肌感覚で判断している。

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うっかり10数年前のその印象を失念し、春分の日に参拝した。神社は清涼な、穏やかな雰囲気に包まれていた。限定お守りをいただく。

帰りの電車内でちょっとしたアクシデントが起きた。車内はやや混んでいた。座席がひとつ空いたので、腰かけた。同じ意図で動いた隣の女性(推定50代後半)より一瞬私が早かった。会釈して座ったのだが、その女性は「信じられない」と憎々し気に吐き捨て、私を睨みつけ始めたのである。隣の席が空くと、今度は座ってぶつぶつ言いながら、睨めつけてくる。彼女は降りるときも、振り返りざまに睨みつけてきた。

――そこまでされる覚えはないぞ。

 

木の芽時なので、こういう人はたまにいる。しかし私が気になったのは、彼女が当該神社の紙袋を下げていたことなのだ。つまり、お祓いを受けた直後、ということである。

――洗心・八方除どころか、まったく負の感情が祓えていない。

そして偶然なのかそれに遭遇した私。そばにいるだけで、気分が悪くなるほど、彼女は禍々しかった。

この神社にご利益はあるのだろうか。あるいは私と相性が悪いだけなのか。2回参拝し、2回とも愉快とは言えない、むしろ「行かなきゃよかった」という体験をする(しかもだんだんひどくなる)のは、私にしては珍しい。大抵どこでも楽しい目に遭うのに、不思議なことだ。

 

もちろん神社でおつとめされる方々に罪はない。人の性根を覆すほどの力は、どこの神社仏閣にもないと思う。

しかし関係者がひどい場合、やはり本体の印象が悪く思えてしまうものだ。

 

枕草子第291段にも書かれているではないか。

「どれほど良い男でも、つまらない女が誉めそやしているのを見ると、その男までくだらないものに思えてしまう」と。

 

2008年に、YOSHIKIさんが相撲協会世話人に激怒した件を思い出す。

白鳳関が悪いわけではないが、いきなりどす黒い感情をぶつけてくる人間を目の当たりにすると、その関与団体と距離を置きたくなるものだ。これはよくわかる。

www.sponichi.co.jp

 

どんなに世間で評価が高いモノ、場所、人、仕事であれ、感覚的に合わないと思ったら、速やかに離れたほうがいい。ここで「いい子になって、我慢して、大人の対応を取る」と大抵ろくでもない結果になることは、痛いくらいに経験済である。

 

その上で自分の立ち振る舞いで関与者の評価が下がらないよう、やはり言動に注意していきたいものだ、とも思うのだ。

 

 

――『枕草子』第291段の続きにはこう書かれている。

「下種女にはむしろ謗られるほうが良い」

憎しみや悪意を躊躇なく露呈する輩に、親しまれたり懐かれたり、同類項扱いされなくてよかった。ここは喜んでおこう。

 

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