面白がって ご機嫌に生きる

30万アクセスまで、ぼちぼちと雑感を綴っていきます。その後は、開店休業の予定です。

亡き母の記憶が薄れていると実感した春

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このところ、花見日和が続いていますね。

深川不動堂

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さて、本日は深川不動堂にて、特別護摩木(供養)を申し込んできました。

来週、母の3回目の命日です。供養の護摩木に桜花がプリントされた期間限定版を発見し「可愛いからこっちにしよう」と選びました。

本名なら漢字4文字なのに、戒名は9文字と長くしかも画数が多い。護摩木は可愛くて可憐なのに、私の文字がつぶれてかなり見苦しい。しかし気持ちが込められていればなんでもいいやと割り切りました。

途中で「定版…昨年は見なかったな」と思っていたためか、戒名の「〇〇を危うく「〇〇」と書きそうになり、ちょっと慌てました。コザトヘンまで書いて、あれ?と気づいたので間一髪。気持ちがこもっているのかも疑わしいな。

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「4/5に護摩焚きお願いします」と申し込みを済ませ、不動堂を後にしてから…そういえば、母は結構保守的な人だったっけ、と思い出しました。いつもと違うコースを歩かないし、食べたことのないモノはいやがるし、だいたい標準版を選ぶほうだっけ。とすると、もしかすると桜模様のないほうが好みだったかも…。

まあ供養は亡き人の好みというよりも、此岸の人間の感覚で決めていくものだしなあ。

少なくとも我が子のセンスに文句をいうタイプではないから、いいことにしよう、うん。と自己完結しました。

それにしても、本当にいろいろ薄れています。『めぞん一刻』の音無響子さんは「亡き夫のことを思い出さなくなる日が来るなんて」とショックを受けていましたが、私自身は旅立った人が遠くなるのは良いことだ…とありがたく受け止めています。

子どもが元気に楽しく生きることが、何よりの供養だと思っているので。そして悲嘆や悔恨といった重い感情を上手に断ってくれたお不動様に、しっかり感謝してきました。

上野界隈

せっかくだから、上野の弁天様にも参拝をと寄り道しました。

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水観音堂の「月の松」。円の中に、不忍池辯天堂が見えます。

「今日は平日だし、空いているかな」と思ったのですが…よく考えたら学生さんたちが春休みでしたね。桜は満開ですし、激混みでした。

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屋台に群がる人、人。しかし辯天堂はすんなり参拝できました。

 

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水観音堂。混んでいるけれど、皆楽しそうです。

私は他者の落とし物を拾って感謝されたり、ちょっといい時間を過ごせました。

大抵機嫌よくいられるのが、私の取柄です。

小網神社

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今日は、やっと小網神社に参拝できました。穏やかに仕事ができること、長時間悩まなくてもいい境地に達したこと、投資成績が思いのほか良いこと、健康であること。

たくさんのご利益をいただいているので、年度内にお参りしたかったのです。奉納金を白い封筒に包み、お賽銭箱に入れたら、水が流れるように綺麗に底に落ちたので「あっ、祈りが届いたかも!」と嬉しくなりました(紙幣は引っかかりやすいので封筒があったほうが良い、と学びました)。

まとめというか雑感

年度末・年度初めにこんなにのんびりできるのは(物理的にも精神的にも)本当に久しぶり。

3年前は母の介護・看取り間近で精神的にへとへとでしたし、2年前もまだまだ精神的にきつかった。昨年あたりから「けっこう立ち直ってきたな」と感じ、今はむしろ両親が壮健だったときよりもメンタルが安定している気がします。

毎日「今日が一番幸せ」と思える日が来るとは思っていなかったけど、3年前の私が思考と行動を一度すべて刷新し、前向きメンタルに向け舵を切ったことを、今の私は深く感謝しているのです。

 

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