面白がって ご機嫌に生きる

快適なモノや場所を選び、いつも機嫌よく過ごしていたら、運と勘が強くなりました。どこまで楽しんで暮らせるか、日々実践中です。

投資のきっかけは、静かな怒り。負のエネルギーを原動力にする

今の仕事を続けて3年になる。週3日勤務で、4日は自由時間。このペースが自分にはちょうどいい。

3年前の3月、末期がん・水頭症認知症で意志の疎通もできなかった母を緩和ケアに入れる手続きを済ませた後、私は唐突に職探しを始めた。多分、現実を見るのが辛過ぎて、何かで気紛らわししたかったのだと思う。

 

退職は10月末。半年以内に決めたほうが有利だから、急がなくては。

まもなく50代。40代のうちに決めたほうが有利だから、動かなくては。

 

冷静に考えれば、母を見送ってから職探しをすればいいものを、混乱のあまり「無職期間を短く」「40代のうちに職を見つける」ということに固執してしまった。あの時期の私は、やはりかなりおかしかったと思う。

 

履歴書を書いて派遣登録をして、面談に出かけた。何かをしていると、心の闇から逃れることができた。もちろん「葬儀で休むかもしれない」という理由持ちなので、そう簡単には決まらなかった。逆に「あなたの職歴で、こんな仕事でいいんですか」と問い返されることもあったが、雰囲気で断ったこともある。

 

雰囲気と言えば、ある金融系の会社が最悪だった。面談で入室してきた瞬間、「この会社はダメだ」と直感した。3人の面接官全員が、胡散臭いものを見るまなざしだったので、避けるべき職場環境だろうと思ったのだ。それでもきわめて穏やかに、にこやかに、前向き感を出して家庭の状況を含め丁寧に応対した。

 

最後にひとりの面接官が放った一言を、今も覚えている。

――さっきから見ていると、あなたのどこに感情があるのだろう、と思います。

 

たしかに、親が亡くなりかけているときに職のためににこやかに話す私は異常だった、と思う。今はそう感じるのも無理はないと思うのだが、当時は「そういうことをわざわざ口に出す意図は何なのだろう…?」と血が凍るような感覚を覚えた。

 

もちろん結果は不採用だったし、私も縁がなくて正直ほっとした。来てくださいと言われても、断ったと思う。

 

その数日後、コネもテストも面接もなしで今の職場の採用が決まったのだから、本当に人生はわからない。そして時々いざこざはあったものの、今はご縁がある限りここで働かせてもらおうと思っている。何しろ、人間関係がとても良いし、仕事はきつくないし、定時で帰れるし、通勤も楽だし、今のところ大きな不満もないからだ。

 

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本記事は、辛い思い出を語ることを主旨としていない。むしろここからの逆転劇が、主題である。

 

3年前。令和元年の6月につみたて投資を始めた。もちろんフルタイム勤務の時に、投資本も読んでいたが、こわくて手が出せなかった。

しかし無職期間中に「貯金が目減りする怖さ」を実感し、少し考え方が変わった。そこで仕事を始めたというのもある。金額は些少でも、収入があったほうが絶対に良い。

 

また、あの金融機関に対し、ずっと思うことがあったのだ。

 

あの会社とだけは、絶対に株取引をしない。

そして、あの冷淡な面接官以上に、私は入金力をつけてみせる。

絶対に、生涯お金や生活に困ることのないようにレールを敷く、と。

 

ここでも「今思えば異常な行動」を取った。あれほど怖がっていた投資なのに、一年以内に退職金すべてを運用に回したのだ。あの時、私を突き動かしたのは、静かな怒りだったと思う。

 

そこでコツをつかんだため、今は上手な運用ができるようになった。

 

2021年度貯蓄額 > フルタイム勤務時代の年間手取り額

 

3月31日現在、貯蓄額は過去最高を記録した。

自分にとって不都合な事態をどう扱うかによって、その後の展開は大きく変容するものだ、としみじみ実感する。今はお金にあまり執着はない。むしろ、何が起きても(暴落が起きても、余命宣告されても)自分は動じないという確信があり、気持ちはほぼ穏やかで安らいでいるのだ。

 

3年で、ここまで来た。

 

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3/31は晦日掃除を済ませ、穴八幡宮、放生寺、豊川稲荷東京別院晦日詣でに伺いました。まもなく新年度。より良いスタートが切れますように。