面白がって ご機嫌に生きる

快適なモノや場所を選び、いつも機嫌よく過ごしていたら、運と勘が強くなりました。どこまで楽しんで暮らせるか、日々実践中です。

墓参りよりも元気に楽しく暮らすことが、両親への供養になる

昭和の日は、あしかがフラワーパークで購入したお土産を携え、弟宅に遊びに行きました。父の10回目の命日が近いので、仏壇にお供えをして姉弟で思い出話でもしよう、という試みです。

私も弟も「墓の中に親(先祖)の存在を感じない」性質です。認知症が進んだ母が、旅立つ前に一切のコミュニケーションが取れなかったことから――つまり生きながら魂が抜けた状態を目の当たりにしたことから――永眠後に正気に返って肉体に魂が戻り、焼かれてもお骨になってもそこにずっと留まっている、という発想は受け入れがたいのです。もう憂き世から解放され、自由になっているはず。

 

「10年後、墓じまいに着手しよう。今よりももっと墓の選択肢が広がるはず。焦らなくても大丈夫。

先祖に感謝する行為は大事だけれど、墓がないと絆が断ち切れるだの、祟られるだの、家が繁栄しないだの、脅しで煽るのは良くないよね。祭祀や供養をおろそかにすると家が衰退するというのは、間違いなく迷信。もし真実なら日本一の身分を誇り、祭祀祭礼を執り行っているあの方々がもっと繁栄してもいいはずだもの。

だから、日々小さなことに感謝して、楽しいことを見出して、他者に迷惑をかけずに暮らせれば、祭祀や供養に拘泥しなくても、神仏や先祖は守ってくれるはず」

 

フラワーパークのお菓子をつまみながら、弟にそんな話をしました。弟も「神社や仏閣には神仏がいると思うけど、墓には何の気配も感じない」と話しています。弟は永代墓におさめるのではなく、海にすべての遺骨を還したいと考えているようで、それも悪くないかなと。

私自身、墓も戒名も供養も位牌も不要です。むしろ「死後、お経をあげて弔ってくれないと魂が助からない気がして不安」と狼狽え、他者に負担を強いないよう、生きているうちに神仏と仲良くし安寧を得るつもりです。

 

お彼岸やお盆には墓参りに行きますが「ここは両親の、二度と着ることのない古着の燃え残りが収められているだけで、魂はないな」と思うのです。

(魂がない)墓へ出向くよりも、お寺で菩提を祈ったり写経したり護摩焚きするほうが私は安心できます。

 

弟宅から帰る途中、深川不動堂に寄りました。

 

護摩供養を、父の命日である5/8にお願いしたのでこれで安心。

大雨が降る前に、帰宅できてほっとしました。

 

🌸     🌸     🌸

 

<余談>

 

私「ねえ私の髪形どう?」

弟「いいんじゃない」

私「どこか変じゃない?」

弟「変じゃないよ」

 

先月のお彼岸のときにショートヘアで、今月肩までのボブになっているから気づくと思ったんだけど…まあそんなもんか。

取り敢えず、ウィッグに違和感がないことがわかったので、これからも軽くおしゃれを楽しもうと思います。

 

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なんだかんだと毎日出かけている気が…今日は昼前にガス湯沸かし器の点検があるので、その前に整骨院に行ってきます!バタバタ。