面白がって ご機嫌に生きる

快適なモノや場所を選び、いつも機嫌よく過ごしていたら、運と勘が強くなりました。どこまで楽しんで暮らせるか、日々実践中です。

できないことが増える喜びと開放感

最近「呪い」というものについて考える。

人 または 霊 が、物理的手段によらず 精神 的あるいは霊的な手段で、悪意をもって他の人や 社会 全般に対し災厄や不幸をもたらせしめようとする行為

辞書にはこう記されているが、私の定義はもう少し幅が広い。

「それを発する本人の感情の好悪にかかわらず、相手を生きづらくする言動」がそれではないか。畢竟、軽重の差こそあれ、この世の殆どが呪いに満ちていることに気づく。

昔は大好きだった小説が、最近全く読めなくなった。人がお勧めする名著でも、パラパラとめくった瞬間になんとなく違和感をおぼえる。つらつらと原因を考えてみるに、小説は概ねコントロールドラマーー他者を自分の都合に合わせようと仕掛けあう展開――である。それがもう自分にはしんどく感じるようになったのだろう。同様の理由で、ドラマもほとんど見ない。現実が呪いの掛け合いなのに、更に作られた幻想に付き合う気力が枯渇した――というべきか。

 

小説やドラマを遮断して、自分の矮小な脳であれこれ考えることが好きになった。

例えば「できることが増えるのは幸せ」「年を取って、できないことが増えるのは寂しく悲しいこと」「しかし人間はいつまでも成長し続ける生き物」「決して諦めてはならぬ」という世間一般で説かれる価値観も、何か違う気がする。

子育て中の若い親御さんたちに、数十年後にこう問いかけたとする。

「若い頃より経験を積み、知見も優れているから、より素晴らしい子育てができるでしょう。あなたの成長ぶりを再度の子育てで証明してください」

おそらく99%以上の人が「無理無理無理無理ー----!!!!若い頃だからできたこと」「何をバカなこと言ってんの?」と拒絶し、呆然とするだろう。

ここに「できないことへの寂しさ、悲しさ」はない。諦めもない。むしろ自分の状況を冷静に鑑みた上で「昔の頑張りによる充足感」を噛みしめ、「過度の期待からの開放感」を主張しているように思う。別にチャレンジ精神に欠けるわけでも、身勝手でも怠惰でもない。本当に、自然なことだ。

 

私自身、小説は読めなくなったし、細かい作業が苦手になったし、家計簿もつけないし、物忘れはひどくなったし、年々できないことが増殖しているのだが、あまり悲壮感はない。むしろ「挑戦しろ」「成長しろ」「我慢しろ」とあれこれ呪いを受け続けた若い頃よりも、期待から逸れた今のほうが軽やかに気楽に生きられてありがたいと思うほどだ。

 

できることが増えるのも楽しいが、できないことが増えるのもまた人生の妙味。

どう転んでも、面白く受け止めていこう。周囲の呪いをかわしながら。

 

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