面白がって ご機嫌に生きる

快適なモノや場所を選び、いつも機嫌よく過ごしていたら、運と勘が強くなりました。どこまで楽しんで暮らせるか、日々実践中です。

国立西洋美術館「自然と人のダイアローグ」(メモ記事)

初日に観覧。

今回は簡単な想起メモとして書きました。

 

nature2022.jp

ゴッホの「刈り入れ」が初来日!(撮影可)

僕は、この鎌で麦を刈る人のなかに

――炎天下、自分の仕事をやり遂げようと悪魔のように闘う朦朧とした姿のなかに――死のイメージを見ました。人間は刈り取られる麦のようだという意味です。

しかしこの死のなかには何ら悲哀はなく、

それは純金の光を溢れさせる太陽とともに明るい光のなかでおこなわれているのです。

フィンセント・ファン・ゴッホから弟テオへの手紙)

ゴッホの死に対するイメージは不思議なくらいに明るいですね。悲哀というレッテルを貼りたがる大衆を嘲笑うかのように、軽々と対象をとらえているように思います。

麦は光や土の栄養を奪い成長し、実れば刈られる。他の動植物も人間も何かを奪いつつ、何かを奪われる。命の営みは、与えて奪って…の繰り返し。それが眩いばかりの陽光の中、ただ粛々と行われていく。ゴッホはそんなふうにとらえたのでしょうか。

 

 

熱心な観覧者がたくさん。

 

それにしても「撮影OK」と「撮影不可」の基準がいまいちよくわかりません。

もしかするとフェルメールの作かも?と言われている某画家の絵は、撮影不可。

 

インパクトがあったムンクの絵も撮影不可でした。彼のアダムとイブをモチーフにした連作を見て、手塚治虫火の鳥(望郷編)」を髣髴しました。「エデンがテーマ」「父親は複数だが、母となる女性はひとり」「人外との交わりにより子孫が繁栄するも、最後には滅亡」という点が共通…といったところでしょうか。

ムンクは家に飾りたいタイプの絵ではありませんが、妙にインパクトがあるんですよね。小奇麗な絵にない魅力があるというか、異彩を放っているというか。

 

リアルな絵、写真そっくりの絵が優れている…わけではありません。技術はすばらしいのに、面白みに欠けて印象に残らないものもあります。

 

自然にもとづいて描くということ、

それは対象を写しとることではなく、

自らの感覚を実現することである。

  ポール・セザンヌ

 

 

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