面白がって ご機嫌に生きる

快適なモノや場所を選び、いつも機嫌よく過ごしていたら、運と勘が強くなりました。どこまで楽しんで暮らせるか、日々実践中です。

仕事を選ぶことは、人生を選ぶことである

4年前に正規職を辞め、数か月後に派遣登録をした。

ある金融系の会社面接で非常に不快な思いをしたため、履歴書を書くのはこれで最後にしようと決意した。そして「この面接官がどれだけ資産運用に強いか知らないが、少なくとも私の方が金運は強いな」と思った。不機嫌そうなアシンメトリーな人相で、いかにも運気が下がりそうな雰囲気を醸していたのを今も覚えている。

別の会社に週数日の仕事が決まったのは良かったが、同僚がいびり体質だったため、数か月後には担当者に「辞めたい」と話すようになった。前任者たちはほぼ数か月で辞めていたらしい。ただ某面接官を見返すつもりで始めた投資もまだ軌道に乗っておらず、もう少し頑張ろう…と思っているうちに3年ほど働いてしまった。

仕事が退屈なことと、同僚と合わないことの他に、どうしてもおかしいと思う点があった。

忙しくないのに、休みが取れないのである。正規職の時代は、仕事が一段落したら「午後休取ります」「明日休みます」ができたのに、それがまったくできないのだった。

他の同僚(※いびる人と別人)と日程調整して2週間前までに連絡してほしい…と会社から言われているので、早めに相談すると「まだ予定が立たないからわからない」と言われ、直近になって相談しても「忘れてた!連絡するね」といってまた忘れる…という具合だった。

そんな彼女は「明日休みたい」と急に依頼してくる。私のスマホに連絡を入れるのだが、勤務日以外はデジタルデドックスしているので、大抵気づかない。

そうしたら「いつもスマホを見てもらわないと困る!」と怒られた。私が余裕をもって頼んだことは放置するのに、随分勝手な言い分である。更に言うと、正規職の時でさえ、休日に連絡が入ることはなかった。

これでは、何のためのセミリタイアなのかわからない。

全然、時間持ちになっていないではないか。給料が下がり、時には調整のため週5働くこともあり、座り仕事で運動量も減り、重要性もない業務で、自己主張の強い人たちに合わせなければならず…一体何のメリットがあるのか。

今年のGWに、まったく仕事がない日に休みを取ろうとしたところ、いびりの同僚からネチネチ嫌味を言われた。例えていうなら「一円も入っていない金庫の番をしろ」というようなもので、出勤の必要性がわからなかった。しぶしぶ出勤したものの、このあたりから「サラリーマンを卒業する」気持ちが強まっていったのだと思う。

6月ごろ、秋の予定を計画した。9月13日は己巳(つちのとみ)。不忍池辯天堂で年に一度のお守りをいただける。しかし私の勤務日だ。最初は休暇を取って行くつもりでいた。しかし、調整しようにも、もうひとりの同僚は相談しても忘れてしまうだろう。午前5時から領布だというから、お参りしてから出勤すればいいか…でも疲れるな…などなどいろいろ考えて、はっとした。

 

辞めればいいんだ。仕事を。

3年前より資産額は増えている。頭と身体を使う仕事でない(はっきり言って暇だ)から、辞めたらボケる心配もない。いや例えボケて寿命が短くなっても、もう自分の時間を不当にすり減らすことはごめんだと思った。社会的に役立つ、意味がある仕事ならともかく、そういった類のものではない。未練はなかった。

 

養老孟司先生は、57歳で大病を患い「定年まで働けるか!虫取りする時間が削られる」とあっさり職を辞した。私もこの調子で自分の時間を削られるのは、本意でない。

 

「選ばなければ仕事はいくらでもある」というのは間違いである。

人には仕事を選ぶ権利がある。いや、選ばなければいけない。

仕事を選ぶことは、人生を選ぶことである。

『だめなら逃げてみる』小池一夫 著より(要旨メモ)

「仕事」を友人、恋人、住居などに置き換えて読んでもいいのだが、ひどく腹落ちした。正解か不正解かではなく、自分にとって最善なものを選択していこうと決めた。

 

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そんなわけで、今日(己巳)は辞めるトリガーになった巳成金大祭に行き、無事に新しいお守りをいただきました。

今日は弁天系だけで「不忍池辯天堂」「浅草寺弁天山(関東三大弁天のひとつ)」「浅草寺銭塚弁財天」「蛇窪神社」を参拝したので、かなりご縁をいただけたような気がします。

スポット的には10以上まわったので、気分もさっぱりしたし、いい運動になりました。

 

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