さんま蒲焼缶について
秋刀魚は好きだ。大根おろしを添えた、焼き立ての秋刀魚は本当に美味。
しかし、これが蒲焼になると別だ。私は煮魚があまり好きでなく、蒲焼が苦手で、缶詰食品に美味しさを感じない性質である。
コロナ療養中に、うちサポ東京から送られた「さんま蒲焼缶」六缶。療養中にひとつ食べたが、あまりの味の濃さに悶絶しそうになった(当時、味覚過敏の兆候があり、余計きつかった)。が、外出もできなかったので、何とか一缶は食べた。
その後二缶を開けたが、いずれも完食できずゴミ箱行きになった。残り三缶。
正直、食べ物を捨てるのは抵抗がある。ネットで「味が濃過ぎるサンマ缶を美味しく食べる方法」を検索したが、そんなものはなかった。
誰かに謹呈することも考えたが――缶詰3つというのはかなり微妙なチョイスだ。それに、ある方の記事にもあったが「自分が要らないものは、他人も不要」なのである。だいたい「まずいものを処分のためにあげる」のは失礼というものだ。差し上げるなら、自分が好ましいと思うものを選びたい。
ある思いつき
稲荷詣での際「衣食住の面倒を見ていただいて…」と謝意を述べているのに、食べ物を粗末にするのは良くない、と考え、閃いた。
お稲荷さんの御供物にしよう。食べ物を粗末にするよりも、お供えにしたほうが良い。自分が苦手なものを供えて良いのかと自問したが、縁切榎参拝の際は飲めない酒を奉納しているので、多分神様は笑納してくれるだろう。勝手にそう結論づけた。
天赦日・大安の日に、魚にゆかりのある稲荷に向かうことにした。
築地・波除神社
波除神社のご祭神は倉稲魂命(うがのみたまのみこと)。稲荷明神である。
10月22日はお初穂祭が執り行われていた。
10月は収穫の時期にあたるため秋の実りを感謝するご神前に御神饌田でとれたその年の初穂をお供えし、稲作が無事執り行われている事に感謝し、神様にご報告をする「お初穂祭」(おはつほさい)が行われます。
また、築地は「食」のまちで「食育」を考えるという事で古来より宮中などで行われていた素手で触れずに魚をさばく「四條流 包丁式」も境内にて執り行われ、ご参拝の皆様にご覧いただける形となっております。(公式サイトより)
10:15着。鳥居の周辺に人だかり。(神事は10:00スタート)
素手で触れずに魚をさばく「四條流 包丁式」を拝見(その時は人が多過ぎて、撮影できず)。私の前にいた数人の見物客が帰ったので、まな板と魚の頭を撮影。
神事に合わせ「ご参拝の皆様、頭をお下げください」「お直りください」と指示される。私の右斜め前にいた女性参拝客がその指示に従いつつも、最初から最後までスマホで撮影をしていたので「木口小平は死んでもラッパを離しませんでした」を何故か髣髴してしまった…。
外国人観光客も多い(この日の築地はとにかく人が多かった。築地駅から波除神社までの混雑は、浅草寺の仲見世以上)。
10:45頃、終了。
本殿にお参り。
活魚塚。ここへ例の蒲焼缶3つをお供えする。
「魚の命をありがたくいただけず、大変申し訳ありません」とお詫び(天赦日は、神様がすべての罪を許してくれる日なので、私の罪悪感も払拭してくれるだろう)。
缶詰3つを置くときに、梶井基次郎の『檸檬』の主人公のように妙にどきどきした。
本殿のお賽銭箱がお供物の向こう側にあり喜捨できなかったため、お歯黒獅子(弁財天)のところへ浄財をお供えした。
最後に補足
何でもかんでも神様にお供えするのが、最適解とは思っていない。神社のほうで扱いや処分に困るものは供えてはいけない、と思う。お供え不可のところもあるし、「他神社のお守りは納札しないでください」と明記しているところもある。そこは各所の取り決めに従うべきだろう。
お花、お菓子、お酒、稲荷ずし、缶詰は他の稲荷社でもお供物として見かけるので、こじんまりとお供えさせていただいた。
他の参拝者が見て「何これ!」と驚くものでなければ、許容範囲かな。